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復刻版:わかるまでカルマ(弟も道連れ編

さて、ワタクシの弟の話が出ましたところで、
ここはもなりの旅ブログ「わかるまでカルマ」
の久々の続編を書いてみようかなと(恥ずかしい程のご無沙汰でございます。リューメイちゃん押してくれてありがとう)
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フラワーチルドレンブーム真っ盛りの1960年代

ビートルズが瞑想のグル(師)マハリシ・マヘーシュを慕い、インドの聖地リシケーシュを訪れたのは有名なお話です。
今からもうかれこれ45年前になるのですね~。私は自我が芽生えた頃かしら~(・ω・)/

ワタクシの初外国インド女一人旅も3ヶ月近くになっておりました。(と、ここで初外国女一人旅に出発間近のお客様ご来店~。一日一シンクロ達成です)

で、時は1992年インド。

「よっしゃ、次はビートルズも行ったヨガの聖地リシケーシュへ行って、私もヨガを習おう!!」
もうその頃には一人旅にもだいぶ慣れて、
誰にも頼らず、悠久のインドの流れに身をまかせることができるようになっていました。

たった一人で辿り着いた聖地リシケーシュは、低地のくっそ暑いインドとはうって変わって、白樺並木の続く涼しい高原でした。
聖なるガンジス川の源流が流れる美しい町、清々しい空気に身も心も浄められていくようです。

宿泊先の(といってもツーリストバンガローだが)
色とりどりの花と蝶々が風に揺れて、小鳥の鳴き声しか聞こえない広い庭園を貸し切り状態で一人、
お茶をいただきながら「なんて贅沢な時間なんだろう」と至福のひとときに涙しました。
何にも誰にも縛られていない、予定もない、全く自由な自分だけの時間。。。。。
天国のような風景の中で、
「私はもしかしたら気付かないうちに死んじゃってて

天国にいるのかもしれない」と、真剣に思いましたよ(大バカ)
リシケーシュは聖地なので、町全体がベジタリアンなのですよ(ま、そうでなくてもヒンドゥ教徒はベジタリアンなのですが)
お肉もお酒も絶対存在していない場所なのです。
あちこちに大きなヨガの道場があり、白やサフラン色のドーティを身に纏ったヨガ行者が、ゆっくりと行き交っている。
今まで訪れたインドの町と全く違うバイブレーション。
ある大きな道場に入ると、真っ白の長いひげ、長い髪の優しそうなお爺さん(ヨガ行者)が微笑みながら「ナマステ~」と合掌しながら声をかけてくれた。
いつも、インド人に騙されはしないかと身構えていた力がす~っとぬけた。

それは、知らない人に出会うときのネガティブな緊張感を払い落としてくれた。
インドだけでなく、これまで生きてきて、すれ違っただけの見知らぬ人に、こんな風に無条件の受容を持って接せられたのは初めての事。
心に光が射し、解放されていく喜びが笑顔に変わる。。。
挨拶だけで癒された。

リシケシュでは眼に映る何もの、出会うもの、なにもかもが美しかった。
初めて水晶を買ったのも、この町だった(今思い出しました)

シャンティ/サンスクリット語で「平和」「安らぎ」「至福」「静寂」等を表す言葉。(もなりはこの4つの日本語が一つになった状態と感じます)
ॐ OMオーム/サンスクリット語で宇宙の根本原理とされる聖音。神聖視されている呪文。すべての音の源。
この二つの言葉に初めて出会ったのも、聖地リシケシュでした。

ヨガの道場で生まれてはじめて「OM」を唱えてみたり、私なりに「シャンティ」な境地を体感してみたり。
なんやわからんままインドに来た私がやっと、
なんやわからないけど意味のようなものが見えはじめた時、
日本に帰らなければならない日が迫っていた。
帰りの飛行機のチケットはあと2日で切れる。
このまま汽車に乗ってデリーに戻り、飛行機に乗るのか。。
すっごく節約して旅してたから、お金もまだまだ残っている!!
どうする??ワタシ~~~~

てね。少し悩みました。これからの人生や仕事のこと、母親や恋人の顔が脳裏によぎる。
しかし、深いところで気持ちは決まってた。

人生背負い投げ~~~~!!

乗らないと決めたチケットはもういらない!!
びりびりと破った。

すごく気持ち良かった。

後悔なんか微塵もなかった。

それよりも、どこまで行っても日本列島にへその緒みたいなもんで繋がっていた感覚がぶっつりと切れて、
私の心象には眼下に小さくなっていく日本列島が見えて、
自分が糸の切れた凧のように上昇気流に乗り、空の彼方へと解放されていく感覚に満たされた。

帰りの便はなんとかなるさあ!
私の心は果てしなく軽かった。(シャレじゃないですけど、帰りはカルカッタ発でした)

それから、自分の本当の旅が始まった訳ですが、
3ヶ月経っても帰って来ず、更に悪い事に連絡の一つもない(ネットもない時代なので)娘の身を案じる両親の心配は、想像を絶する程ピークに達しておりました。
なんせ、田舎の普通の両親。どこをどうやって広大なインドを探せば良いのか皆目見当もつかず、インド大使館にまで連絡を取ろうとしていたそうよ(ごめんなさい)
そんな家族の心配をよそに、風の向くまま気の向くままどっぷりとインドに浸りはじめていた私は夢と希望に溢れて幸せの絶頂でした。
なので、闇の国際電話屋さん(当時はそんなものがありました、繋がりにくいのよ)から、「元気だよ」と電話した時は大変でした(当たり前です)尚かつ、「まだまだ帰りません」等と言ったものですから、事態はあらぬ方向へ。。
両親が思いついたのは弟(チエゾー)に姉(ワタクシ)を迎えにインドに行かせるという。。。。
当時、東京の某有名美容室で活躍していた弟は、楽しくてたまらない仕事を辞めてオバカなねーちゃんをインドから救出するべく、インドへと旅立たねばならなくなったのでした。
しかも、初海外。しかも、私より英語出来ない。かわいそうに、フランスに美容の勉強に行くんだいっ!と貯めてたお金もそっちにまわし。。。(ごめんよおおおお)
来る事が決まって、また闇の国際電話屋から連絡を取った。「バラナシに日本人が経営する安宿があるからそこで会おう!」

さあ、どうなるチエゾー。インドで無事に再会できるのか?
続く。。。