クリスタルトライブの皆様、こんにちは
師走の寒さ厳しい折、我が家の愛猫リーラが突然虹の橋のたもとへ逝ってしまいました。
いつものように元気だったのに、まだまだ長生きすると思っていたのに、
お別れはあまりに突然でした。
寂しいです。。。そこかしこに思い出が。。。
クリスタルトライブの皆様のハンドルネームやメアドを拝見してますと、
猫好きの方、多いなあ♡っていつも微笑んでいるのですよ〜。
猫さんだけでなく、一緒に暮らしたり関わりを持った動物さんたちは「愛」で繋がったかけがえのない家族ですもんね。
いつかお別れの時が来るとはわかっていても、いざ先立たれてしまうと愛しさ、寂しさ募ります。
動物さんたちは愛の存在です♡
我が家の猫リーラは13歳でした。人間でいうと70歳近いかな。
石屋さんをはじめてすぐに息子が拾ってきた子猫でした。
それからは可愛い家族の一員として、いつも愛と癒し(そうでないことも多々)と笑いを振りまいてくれたのでした。
名前のリーラは、サンスクリット語(古代インド語)で
「神々の戯れ」です。
「この世界で起こる全て(森羅万象)は神々の戯れである」という意味であります。
遊び味わい尽くすといった意味あいも。
リーラは今時の飼い猫としては珍しく室内と屋外を自由に行き来してまして、
幸せな猫人生だったと思います。
その名の通りよく遊び、野良猫さんの自由と室内猫の快適さを味わい尽くしました。
だからかな、とても綺麗に旅立ったのですよ。
お顔も微笑んでいてとても安らかなのでした。
タイミングも絶妙で、天に手を合わせたくなるようなミラクルもいっぱい。
愛猫の死から学んだのは、良く生きると良き死を迎えられるということ。
当たり前のことですが、私も良き死を迎えられるように良く生きよう!
と、リーラに誓ったのでした。
アニマルコミュニケーションは動物界との通信です。
世界には素晴らしいアニマルコミュニケーターさんがたくさんいらっしゃいます。
私は鉱物界専門ですが、動物界や植物界とも時々コミュニケーションすることがあります。
霊体になったリーラとそんな感じで繋がろうとは夢にも思えなくて、
ただただ亡骸を前にしておいおい泣いていたのですが、ふと
「お母さん、私たちは一つ」
と、鈴のような声が聞こえました。
「私たちは一つなの」
私の目の前には大海原が広がり、幾重にも波が立っています。
「私は猫波」
「お母さんはお母さん波」
ああ、そうだった。
古代インド哲学の話で、
「私たちの存在は海の波のようなものだ」
と読んだことがある。
「あの波は大きいとか、あの波は小さいとか美しいとか波ばかり見ていろいろ言うけれど、全ての波は現れては消えていく海の表面の動きに過ぎない。
自分という存在も、自分以外の存在も波のごとく存在しているように見えるが、
実は海そのものであり、私たちはほんとうは一つなのだ」
微笑む寝顔のリーラを見ると
「私たちはひとつ
離れたり、近づいたりしているように見えるただの波。
ほんとうは大いなるひとつの同じ存在。
私というのは、その表面に戯れる波のようなもの。
一つの波が海に戻っただけのこと。
だから、ほら私たちはひとつ。
出会い(生)も別れ(死)もない、永遠のひとつ」