復刻版:わかるまでカルマ(弟、行方不明編)
弟の出発が決まった頃、
私はインド滞在が6ヶ月近くになり(月日が経つのは早いものです)ビザ延長のためにネパールへ再度入国していました。
カトマンズとカルカッタから一番近いミーティングポイントはバラナシ。
そしてバラナシにはインド人と結婚した日本人女性が経営する有名なゲストハウス(仮にKハウスとしますが、わかる人にはすぐわかってしまうですな)があり、
そこなら日本人ツーリストの溜まり場だし、日本語は通じるし、お初海外の弟でも何とかなるだろうとの安全策でした。
で、日に焼け、それらしい格好になり(貧乏旅行で)すっかり長期滞在者(貧乏旅行者)の貫禄(社会的にはみすぼらしい)も出てきたワタクシは
インドで弟に再会する喜びいっぱいで、Kハウスの扉を叩いたのでした。
ガンジス川のほとりにあるこの大きな一軒家のゲストハウスは、画家のインド人のご主人(かなり高齢)と日本人の奥さん(すでにおばさん)が二人で切り盛りしています。
若い日本人バックパッカーしか宿泊しない、ある意味合宿所のような、ある意味日本人避難所のようなアットホームっちゃアットホームな(ほめてないがな)お宿。
ドミトリー(相部屋)には、沢山の日本人が宿泊していました。
で、私もドミトリーへ(安いからね)
汚らしく散らかった大部屋の片隅に弟のリュックサックが。
「わ~~~!!いるいる~~」
早速周りの人や宿の奥さんに「弟はいずこでせうか~?」と尋ねてみても、誰も知らないと素っ気ない。。。
む~~ん、早く会って涙の再会を祝いたいのに、待てども待てどもチエゾーは現れない。。。
日も沈み、宿では夕ご飯(なんと、晩ご飯付き)
で、なんとですね、この宿は危険な夜のバラナシをか弱い日本人は出歩いてはならん!!と、
日没以降は外出禁止令があるのですね~。それを守れない人は追い出されるのよ。なんかあっても責任取れないからね。
ま、確かにオーナー達が心配する程、夜のバラナシ(インドはどこでも)は治安が悪く、ツーリストは危険な被害に遭う事も少なくないのです。
特にね、女の子なんて一人歩き危ないです。
私も何度も襲われかけましたよ。
土佐犬むき出しで乗り越えてきましたガルル~~~
強盗、暴行、窃盗等々、平和な日本では考えられない事が当たり前に起こります。
また、街灯等も発達していない上に、昔からの古い迷路のような町並みで迷子になってしまう可能性も大。
困ってると、それを食い物にする悪い人たちもうじゃうじゃいるのですよ。
人だけじゃなく、わんこさんも。
狂犬病バリバリの野犬の群れも恐ろしい程いっぱい。
野犬グループ同士で喧嘩が始まり、路地に追い込まれ両側からはさまれたこともありました(死ぬ程怖かった)
すっかり暗くなってきて弟が帰って来ない事に周りが騒ぎはじめました。
「これは危ないですよ」
神妙な顔で年長の男性がぽつりともらすと、
宿の日本人さん達に戦慄が走る。
弟はインドに到着してまだ4~5日程。
英語も出来ないのにどこでどうしているのやら。
宿のご主人画家のお爺さんが真剣な面持ちで立ち上がった。
「事件に巻き込まれているかもしれない」
おおおおお~~
更に緊張が走る。
「みんなで探しに行こう!危ないから男性だけで。危ないから皆でヒトカタマリになって行きましょう。お姉さんも行きますか?」
「行きます。お世話になります。ご迷惑おかけします」と同行する事に。
まるで、肝試しに行くような、大事件勃発のようなドラマチックな空気感の中、
ご親切な皆様に深々と頭を下げ(とーぜんです。ありがとうございました)、弟探しに恐怖の夜の町にいざ出発。。。
なんて言えばいいのでしょう。
実はワタシ、あんまり不安がなかったのです。
そりゃ、心配でしたよ。
でも心の深いところで「大丈夫」って根拠のない自信があって、すごくどっしりしてたんです。
腹が据わってたというのか、ここで私が泣き騒いでもしょうがないし、こんな事態はなるようにしかならないし。
それとね、危険区域以外はそんなに怖くはないのですよ。
ツーリストが行きそうな場所は大体裸電球が揺らめいていて、夜のバラナシはとてもロマンチック。
というのも、わたし以前によく一人でお散歩してたんです(おいおい)
でもね、ありがたかったです。日本人って優しいなあって。
探索に乗り出してくれた見ず知らずのに旅人さん達に感謝の思いでいっぱいでした。
で、まるでテレビドラマのような探索も成果ないまま、弟は見つからず宿に戻りました。
夜もどんどん更けてきて10時近くになり、不安と心配はピークへ。。。
さすがの私もドミトリーでチエゾーの荷物を見つめながらやや心細くなってきた時、宿のご主人の部屋に呼び出されました。
怖い顔をしたインド人のお爺さんは私を見るなり、とても分かりやすい英語で
「お前の弟はすでに殺されていて、ガンジス川に浮いている」
は?
「お前の弟がカースト(身分)の低い子供と遊んでいたのを見た者がおる。間違いなく遠い所へ連れて行かれて、ナイフで刺され、持ち物を奪われ、もうすでに死体となっている」
えええええええええ
「弟はこんな顔であろう?」
と、さすが画家だけあってしゃかしゃかとチエゾーらしき人物の顔をスケッチしてくれた。
「どうじゃ」
は、はい。良く似てます。お上手です。
「殺されておる」
。。。。。。
「明日にはガンジス川に浮いているのが発見されるだろう。」
ここで、よよよよと泣き崩れなければいけなかったのか、
妙に落ち着いていたのが気に入らなかったのか、
爺さんは執拗に
「弟は死んでいる~~」とわめくばかり。
もう私は、なんだか腹が立ってきて
弟は絶対生きている!明日無事に会える気がしてならなかった。
自分でもなんでこんなに落ち着いていられるのか不思議だった。
本当は心配で心配でたまらない。
でも虫の知らせのようなイヤな予感や身体から力が抜けていく不安感が全然なくて、
なぜだかわからないけど大丈夫って確信があった。
こればっかりは身内でないと感じない感覚だと思う。
それに、泣いたり騒いだりしたところで、状況は何ら変わらないもの。
覚悟を決めるしかしない。
1時間程「殺されている」とか「ナイフでずたずたにされてる」とか言われ続け、警察にも連絡しそうにない。
(ま、インドの警察はあんましあてにならないのです。夜も更けてるし翌朝連絡することになった)
心配してくれているのはわかるが、なんか違う。
日本人の奥さんも、腕を組み仁王立ちで「迷惑千万!」とばかりに怒っている。
さすがに疲れてきて、少し休ませてくれと頼むと
奥さんが
「あんた、ただもんじゃないね。皆への悪い影響がありそうだから個室へ移って」と言われた。
ただモンじゃないのはおまんのほうぜよ(龍馬風に)と思いながら
個室に移った。
ドミトリーの宿泊客達はみんな若くて、学生寮のようだ。
トランプをしたり、おしゃべりをしたり、問題が起きてる私は完全に浮き上がってしまっている。
人生背負い投げした、ちょっとやさグレ感漂うヒッピー風のおねーちゃんは、
皆さんとはいない方がいいのかもしれない。
狭くて暗い個室の、薄汚い壁を見つめながら
弟は絶対生きてる!
チエゾー見るまで泣くもんかあああ!!と眠れぬ夜を過ごした。
続く