9年間の旅人暮らしに終止符を打たざるを得なくなり
家族3人で私の故郷の高知市に戻ってきた。
結婚して初めて日本で住まいを借りた。
仕事も生活道具も何も揃ってなくて、途方に暮れながら
小さなテレビをつけると、ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ大惨事の映像が流れた。
911
21世紀を迎え、これまで自分が築いてきたと思っていた世界が
戦慄と共に一気に崩れ落ちた。
その後は社会復帰のリハビリの様に夫婦揃って仕事を始めた。
世界一周して帰ってきたのに、なんの取り柄も特技もない私は自分が最も苦手なショッピングセンター(当時は人ごみが辛かった)の
パートしか仕事が見つけられなかった。
旅に戻りたくて、毎日我が身の情けなさに泣き暮らした。
自由奔放に育てた息子も、重そうなランドセルを背負って無邪気に登校している。
社会的には良いことなんだろうけど、私にとったら地獄だった。
救いは、環境が激変したのに元気いっぱい生活を楽しんでいる息子の笑顔だった。
1年間は毎日泣いた。
涙が涸れるなんて嘘じゃん。とまで思った。
もう二度と這い上がれない落とし穴に落ちてしまったようだった。
友達もいないし、気の会う仲間もいない。
そんなどん底の時にお腹に新しい命が宿った。
絶望と失望しかなかった虚空な心に、子宮から波の様に温もりが届いて来る。
お腹の中に太陽があるみたいだ。
訳もなく元気になって来る。不思議で、うれしかった。
徐々に泣くこともなくなった。
私は自分が何が大好きで、何がしたかったのかをお腹の子供とともに少しづつ思い出した。
そうだよ、こんな時こそ大好きな水晶だよ!
でも、当時のマイクリスタルはきっと戻ると信じてインドに置いてきたまま。
ワラにでもすがる思いで、慣れぬインターネットを使って自分の心が癒されるサイトを探しまくった。
やっぱり水晶だ。水晶を見ていると本来の自分が戻って来る。
赤ちゃんも生まれたし、いつまでもパートやアルバイトを続けている訳にも行かず、
何か自分たちで出来るお店を始めようと模索していた時、
初夢にインドのクリスタルヒーリングのマスターが現れた。
新しい年が始まって、こんな吉夢を見られただけでもうれしくて、
心に光が射し込んだ。
しばらくして勤め先を辞めた旦那さんが「クリスタル屋を始めて見ないか?」
それまで、クリスタルショップをやろうなんて口にも出さなかった旦那さんからの言葉に飛びついた。
すぐに家族4人でインドに飛び、顔見知りのヒマラヤ水晶専門店に仕入れに行った。
帰国して、すぐに店舗が見つかるはずもない。
ましてや、数珠風のブレスレットやパワーストーンが中心の日本市場で(しかも高知)
水晶原石の良さをわかってくれる人なんているのだろうか?
当時はネットで検索しても石屋さんなんて数える程しかなかった
(ほんとだよ)
今ではドゥニクリスタルのあるストリート、おびさんロードでおびさんマルシェが賑わっていますが
その頃マルシェは始まったばかり。
取りあえずおびさんマルシェに出店してみた。
自宅のダイニングテーブル(小さい)に布を敷いて、今にして思えばわずかな量のヒマラヤ水晶を並べた。
それが、私たちの最初の小さな小さなお店でした。
道行く人々は、始まったばかりのおびさんマルシェと水晶原石の珍しさに足を止めてくれて、
物珍しそうに買ってくれた。
石好きの人たちも想像以上にいて、私たちの存在を喜んでくれた。
私たちの方がずっとずっと嬉しかった。そしてありがたかった。
丁度お店を出した辺りに、チャレンジショップという高知市が商店街活性化支援をしている貸店舗があった。
ここで出店すれば、家賃が援助のお陰でかなり安くなるし、
個人経営のノウハウも無料で商工会が指導してくれる。
自由気ままに生きてきた私たちには願ってもない話だった。
しかし、簡単に借りられるはずもなく、企画書と願書等を持って商工会の面接にパスしないといけなかった。
帰国後しばらく鬱気味だったし、人様とほとんど会話をしてなかったので
面接当日は緊張のあまり倒れそうだった。
ちゃんとプレゼンテーション出来る様に、喉にトルコ石をつけた。
少し落ち着いた。水晶もポケットに忍ばせて。。
チャレンジショップ自体は市がそろそろ支援を打ち切るところだったので、
3ヶ月間だけの契約だったが、町の中央商店街の目抜き通りに小さいながらも自分のお店を持てた。
夢のようだった。
2005年の10月1日。
ドゥニクリスタルがオープン。
商工会の勉強も一生懸命やった。
パパはもっと水晶を仕入れる為に単身インドに行った。
お店は予想以上に順調に進んだ。
1日何千円位の売り上げが、徐々に上がってきて初めて3万円を超えた時は家族で初めて外食に行った。
友人達が知り合いを連れて来てくれたり、いろんな人が珍しそうに来店してきて、どんどん賑わってきた。
「きれい~、素敵~」
「気もちいい~」
の言葉に沢山の勇気をもらった。
「こんな石どうするの?持ってるだけいいの?」
「パワーストーンのブレスは置いてないの?」
とも、しょっちゅう聞かれた。
その都度、水晶原石の魅力や素晴らしさを丁寧に伝えた。
不思議そうな顔をしていたお客さんも、喜んでファーストクリスタルを買ってくれた。
レジもない小さな店舗で、私はかごの中から釣り銭を出しながら、また新しい年を迎えた。
もうチャレンジショップは終了だ。
どこかに本格的な店舗を見つけたい。
出来れば、洒落た石畳が素敵なおびさんロードがいい。
ここから始まったし。
でも、地方都市といえ高知市はとても地価が高い。
沢山の物件を見たがピンと来るのになかなか出会えない。
貸し物件ポスターが貼ってある、理想の物件を思い切って見に行った。
親切な大家さんで、是非来てくれと言われた。家賃も交渉の末なんとか払える額になった。
そんなこんなで、目出たく現在の場所にお店を出すことができた。
小さなテーブルの上に、シングルポイントの水晶を並べてから9年。
何のコネクションもなく、知識と言えば水晶の知識しかないだけでここまで成長して来られたのは
ひとえに、石が大好きな皆さんのお陰です。
いろいろあったけど、初心を常に忘れず、水晶と共にこの世界と繋がっていたい。
これからも、ドゥニクリスタルを末永くよろしくお願い致します。
感謝を込めて
安藤敏之
もなり
■こちらの記事は2014年のものです。