実は出発前に大変なことがあって、
フルグライトを使って自己ヒーリングしてました。
フルグライトは落雷によって砂や岩石が溶けてガラス化したもの。
雷の通った部分がストローの穴のようになっている不思議な石です。
祈りを雷のように早く強烈に天に届けると言われています。
私は滅多に個人的な祈願を石にしないのですが、このときばかりはフルグライトの力を借りました。
フルグライトに祈りを込めて、口にくわえ天に向かって穴から思い切り息を吹くのです。
明くる日、問題未解決で消沈のまま車を運転中
「ああ、そういえば昨日はフルグライトにお祈りしたなあ」
と思ったまさにその時、
目の前の空にぽっかり浮かんでいる雲からにょ~~~っと虹が出た
えええええ!!うっそおおおお~~~
よくあるイラストのように雲から出た虹は濃さを増しながら目の前にいる。
タイミングがタイミングだっただけに、結果はどうあれ祈りが天に届いた印のようで感謝の思いでいっぱいになった。
「大丈夫よ。全てうまくいくから」そんな声が聞こえた気がしたけど、首を振った。
自己中心に受け取ったらあかん!虹が見れただけでも良しとしようじゃないか。
神様ありがとう!
ところが、祈りが通じて本当に奇跡的なことが起こり(父が危篤から復活)、
無事に渡豪することができました。
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ペニーさんがペンジュラムでどんどん私用の石を選んでる最中、
やおらフルグライトを手に取って私の顔にホラホラと押し付けてくる。
はっ!!フルグライト!!
そうよ、フルちゃんに助けてもらったのよ
フルちゃんのお陰でここまで来れたのよ
ああ、フルちゃ~ん。お父さんは元気かなあ~
いくら元気になったとはいえ、危篤だった父を置いて外国へ来てしまった私は罪悪感でいっぱいだった。
きっと大丈夫と安心していた矢先にまた容態悪化の連絡もあって、自分一人だけでもすぐに帰ろうと考えていました。
そんな中でのクリスタルヒーリングだったのですが、
ペニーさんにはそのことは一切話しませんでした(英語力の問題もあるし)
ペニーさんのフルグライトを手に取ると、またも
「大丈夫、安心してね」
のバイブレーションを感じる。
身勝手なもんだなあと自分を責めつつも、フルグライトに癒されました。
すると、
「ハイ!終了!」と言わんばかりにペニーさんは私の手からフルグライトを取り上げて元のトレーに戻してしまった。
あれ?フルちゃんも使うんじゃないの?と、拍子抜けしたものの
どうもフルグライトの仕事は完了したようです。
で、ヒーリング中何度も父の顔が出てくるのですが、不思議に罪悪感や悲しみといった感情がわき上がることはなく、
とても心地よく今までにない意識状態を体験出来ました。
自分の思考や感情の起伏、そして今現実に起こっていることを観察していました。
ラストにハートチャクラになにやら大きな重たいものがずしんと置かれ、
ごわああああああんんんんん
と妙なる音が響き渡りました。
それは、アンティックのチベタンシンギングボウルでした。
(大昔に手打ちで作られたもので、すっごくぼこぼこなの。それがまた良くて)
金属の絶妙なブレンドで、宇宙(神・仏)と交信する為に作られたチベタンシンギングボウルは、
クリスタルボウルとは全く違った音色でした。
ハートチャクラの芯から、七色の蓮の花が音のバイブレーションとともに咲き広がっていく。。。
第2チャクラと両膝の間にも、サイズの違うチベタンシンギングボウルが置かれていて、
3つのボウルが妙なるメロディを奏でながら、私の身体の奥から蓮の花を咲かせていく。
ヒューマンボディの中の光の身体(ライトボディ)が目覚めて、さなぎの中から光の蝶が生まれてくる感じ。
目の前は光と色と音の渦、「私」という自我は光と音の粒子に溶けて、最後の最後の自分が小さな小さな点(ドット)になって
この状況を把握しようとしている。
自我は光の渦の中の小さな黒点のようだった。
身体の細胞は光になって、空間に向けて何色もの光の花びらを広げ続けていた。
まるで、ハートに太陽が宿ったようだった。
もしくは、厚い厚い雲に覆われて忘れ去られていた太陽が顔を出したような。。
私は何者でもなく、光りそのものとなって広がり続けた。
そして、音がフェードアウトしていく中、自分の通常意識も戻ってきた。
1時間のヒーリングだったけれど、何時間も経った気がした。
ヒーリングが終わって、ペニーさんが
「あなた、最近家族とか、とても近い身内が死んでいないかね?」
「はい、実は父が死にかけております。」
「ふうむ。お父さんに今は意識があるの?」
「あったりなかったりです」
「かなりの高齢よね?」
「はい」
「来てたわよ。」
「。。。。。」
「意識不明の人のスピリット(霊)なら、このようなことが起こるのよ。あなたのことをとても心配して、ずっと側にいるわよ。あなたの旅が安全であるように見守っているわ」
「私もなんとなく感じていました。一緒に旅をしてる気がしていました」
「そうね、一緒にこちらの景色を見て楽しんでいるわ」
「天国と間違ってるかも」
「ふふふ、そうね。彼は安心してって言ってるわ」
私が、たった今一番癒して欲しい問題が、私の一番興味のある領域から癒されていく。
理解と確信が救いの光となる。
父の黒点の部分(自我)でなくて光の領域(魂)が来ているのだろう。
私にとってヒーリングと言えば、カタルシス(心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること)だったのだけど、
ペニーのヒーリングは、高い所から観る包括的な気づきを与えてくれたことだった。
慰めや、アドバイスではなく、全体像を見る大きな視点を目覚めさせてくれた。
私は、これまでにない程晴れやかな気分になって、自分が時空に拡大していく感覚を味わった。
「全てはうまくいっている」「全ては繋がっている」この言葉が、これまでより高い所からの理解で彩られていく。
よく聞くこの言葉は、「忍耐」と「信頼」を通して初めて具現化する。
「ペニーさんはホンモノだなあ」と放心していると、
「シャーマンは、なんでシャーマンだと思うかね?」と突然聞かれた。
「シャーマンでしかないからでしょうか?」
「その通り。シャーマンになろうとして成るのではない。シャーマンだからシャーマンでしかないのだよ」
あの世とこの世を行き来するシャーマン。
死者や精霊の言葉を受け取って、こちらの世界にもたらしてくれるシャーマン。
ペニーさんはシャーマンだった。
地球の歴史を図書館のように携えた、現代の白人シャーマン。
ペニーさんはアーチストでもあり、彼女の手による絵画や工芸が素晴らしい。
古代エジプトの玉座のような美しい椅子があった。
それも彼女の作品だった。
古代エジプトの神聖なシンボルが浮き彫りにされたレリーフは、
ペニーさんの高度な宇宙観、死生観を示していた。
油彩で描かれた天使の絵は、愛と光を放っていた。
古びて、手入れの行き届いてないありのままの部屋は、温かさでいっぱいだ。
ぶらさがった野菜や沢山の瓶詰め。戸棚一杯の食器。古い家族の写真。
埃をかぶった仏陀の像も、ジャングルで拾ってきたであろうぐねぐねに曲がった木の杖も、
古代アボリジニが使ってた石ころも、全てがペニーさんの一部として息づいていた。
ペニーさんは、「宇宙への信頼」と「自らへの信頼」でもって、
大魔女もしくはシャーマンとしての役目を果たしている。
彼女が触れると、モノはモノでなくなり、命を持った仲間として宇宙の最善の為に働き始める。
私は期せずして、自分に一番癒しと気づきが必要な時にペニーさんに会うことができた。
「死はね、永遠の別れではないのよ。悲しむべきことではないの。魂は永遠なのよ」
ぷか~~とタバコの煙を吐きながらペニーさんがそう言うと、
この聞き慣れた慰めの言葉が、真実だと確信出来る。
宇宙の遥か彼方から地球とそこに住まう命を垣間みたような気持ちがして、
私はレインフォレストに包まれていった。
穏やかだった。
ホテルに戻ると、母から電話があってお父さんはまた持ち直したので、心配せずに旅を楽しんでということだった。
私達はいついかなるときも森羅万象一切と繋がっている。
というか、それそのものである。
でも、感謝と思いやりを忘れた時に、切り離された感覚に包まれる。
人間関係の最小の単位、夫婦、親子、家族。
私達は決して一人で生きているのではない。
そして命は神の手に委ねられている。
果てしない出会いの中で、繰り返し繰り返しドラマが展開されていく。
一握りの砂がこぼれ落ちて、小さな一粒が手の平に残る。
私という存在は、宇宙からするとこの一粒の砂みたいなものなんだろうな。
一粒であることすら、寄せては返す波に削られて消えて無くなってしまっても、
大海の一部、いや、溶け広がって大海そのものとなるのだろう。
今も、私のハートチャクラには太陽が宿っていて、なにか落ち込みそうになる度に
あの妙なる音と共に光の蓮が花開いていきます。
私はもう小さな黒い点ではなくて、自分も含め人間の本質は光そのものであると知っています。
あなたもダメダメちゃんなあの人もこの人も、全ての存在は光です。
光は愛
それを身体ごと、魂ごと、教えていただきました。
ペニーさんありがとう。
そして、読んで下さってありがとうございます。
写真はオーストラリアで一番最初に朝日があたる山「マウント・ウォーニング」。
先住民アボリジニの聖地として崇められています。