預言者

クリスタルトライブの皆様、こんにちは。

珍しく連投です(元気な証拠。それもこれも皆様のおかげです)

春分から苦行のような日々が続いていたのですが、お花と愛にかこまれた幸せな記念日を迎えることができました。

人間生きていれば、悲しいこと、辛いこと、苦しい時期というのは避けて通れません。
病気や怪我、身内の不幸や、自分ひとりではどうにも解決できない問題の浮上など、
またそれが怒涛のように続いてしまう厄年のような時期というのもあります。

この半年は自分でもびっくりするほどの苦難の連続でした。

「苦しいときは目覚めのチャンス」と、わかっちゃいるけど渦中の真っ只中にいるときは頭も感情も飲み込まれ翻弄されてしまうものです。

セルフヒーリングをしたり瞑想したりすれど、このサターンリターン級の苦行はなかなか許してはくれませんでした。

自分の理解と限界を超えた苦難は、真に大いなる理解への扉となると気づかせてくれた、
一筋の光の如き【散文詩】と巡り会えなかったら、私は今もまだ魂の闇夜を彷徨していたことでしょう。

もう出口が見えなくなった時、息子が何気なく置いていった一冊の小さな詩集。

カリール・ジブラン著『預言者』

どうにもならない苦難に苛まれている人に、そしてつい先日までの私のように、そんな日が来た時に思い出してもらえたら。。と、願いを込めてこの一節をシェアさせていただきます。

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するとひとりの女が言った。お話ください。苦しみについて。

アルムスタファ(預言者)は答えて言った。

苦しみ、それは、あなたの理解を被っている殻が壊れること。

果実の芯が陽に触れるためには、まずその核(たね)が壊れねばならないように、あなたも苦しみを知らねばなりません。

あなたの日々の生活に起こるさまざまな奇跡へのおどろき。それを心に常に生き生きと保てたなら、苦しみも喜びにおとらず不思議に溢れていることがわかるでしょう。

田畑の面に過ぎて行く季節を、いつも自然に受けとめてきたように、心の季節をもあなたがたがそのまま受けとめられたなら。

苦しみの冬を通しても、晴朗さをもって目をみはっていられたなら。

苦しみの多くは自ら選んだもの。

それは、あなたがた自身の中の、うちなる薬師(くすし)が、病んでいる自分を癒そうとして盛った苦い苦い一服。

それゆえに、この薬師(くすし)を信じなさい。そしてその薬を沈黙と静穏のうちに飲みほしなさい。

なぜなら、その手がどんなに耐え難く厳しくても、「見えない方」の優しい手で導かれているのですから。

そのもたらす杯(さかずき)がどんなにあなたがたの唇を焼こうとも、「陶工である方(かた)」がご自分の聖なる涙でしめらせた土でつくられているのですから。

(カリール・ジブラン著 訳 佐久間彪 /至光社 より抜粋)

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私達は上手くいってるときは、神様に感謝しそれを当たり前のように喜んで受け取ります。

しかし、なんらかの苦しみに直面すると、それは受け入れがたく、神様に見放されたように感じ、感謝の祈りは懇願に変わります。

「うちなる薬師」、「見えない方」、聖なる涙でしめらせた土で杯を作る「陶工である方」は、神様です。

私は、このカリール・ジブランの詩の力で、神(宇宙)への大いなる理解と信頼を呼び覚ませていただきました。

痛みも苦しみも、理解し信頼することで、風にさらわれるように消え去っていき、
心に内なる太陽が昇ってきたような温もりに満たされました。

そして今、感謝のうちにこれを書いています。

著者のカリール・ジブランは1883年にレバノンに生まれた詩人・哲学者・画家です。
以前もブログでご紹介しました。親子で大好きです。
この散文詩『預言者』は、人間の普遍的なテーマ、愛、結婚、自由、子供、友情、家、苦しみ、宗教、別れ、死について書かれており、三十数ヵ国語に訳され、今も世界の人々に愛読されています。

教示に満ちた散文は時代も宗教も国境も超え、魂の琴線に触れます。

訳された佐久間様のあとがきにあるように、世界30数カ国以上の訳者たちの思い

『この本を、少しでも多くの人に紹介しなければ』

私もささやかですが、そんな思いでブログにシェアさせていただきました。

最後に佐久間様のお言葉で締めくくらせていただきます。

『願わくば、この訳書をひもとくすべての方々の心に、言葉を超えて、預言者自身がかたりかけてくれますように。』

佐久間様、翻訳していただきありがとうございます。

ありがとう奏真

ドゥニクリスタルへ続く

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綺麗な写真がたくさんあります!是非見にきてください!