わかるまでカルマ(バラナシ編)
頭の中はブログのネタでいっぱいなのに、なかなかパソコンの前にゆっくり座れません。
年末の足音が聞こえてきたせいか、何かと忙しゅうございます。
高知もようやっと寒くなり、空の蒼さが目にしみます~。きれい~。
新しい石達もキラキラと店頭デヴューして、写真撮ってアップしたいなあと思うのに
それもままならず、、、、
私はブロガー向きではないようです。。とほほ。。。
でも、ま。
マイペースで。
うん、大事だ。マイペース。
走れる時は走り、休める時は休み。無理せず己のペースで
この、2011年の締めくくりを一日一日大切に生きていきたいな。。などと。。。
ここんとこすっかり旅ブログで、
先日クリシュナ神のこと等書いておりましたら、やはりこの世は全て繋がっているのでしょう、
やおらアメリカ人のクリシュナ教徒さんがご来店。
クリシュナ教徒のバイブルである「バガバットギーター」(分厚い本)を置いていかれました。
突然。
ナマステ~~。
神様に関わると、不思議なご縁は加速しますな。
インド旅ブログ、次の目的地はインドの大聖地「バラナシ」なので、
ヒンドゥー教徒の死生観と輪廻転生について書いてたら(店番中に(・ω・)/ 仕事しようよ)
ご来店のお客様に、「トライゴーニック水晶の意味は何ですか?」と聞かれ、
これがまた、「生と死の移行を司る」という深遠なパワーを持つレコードキーパーのような三角が下向きに現れている希少な水晶なんだけど、いきなりの難しいテーマなんでね、そのままお伝えしましたら、
「じゃ、生から死への移行とはどういったものですかね?そもそも死ぬってどういう事ですか?」と質問され(お寺に行って坊さんに聞いてねとも言えず)、
ん~~~、この絶妙なタイミングはバラナシ編を書いてる最中の私にとって、
ヒンドゥーの神様からのテストではないか?と思い、
このお客様(もしかしたら神様のお使いかもだし)に努めてシンプルにわかりやすくをモットーに、生と死について答えるのは不思議な感覚でした。
ヒンドゥの神様。。
私、ちゃんと答えられましたでしょうか?
なんてね。思いましたですよ。
もなりは、人間は魂であって、死んでハイそれまでよと終わりではなく、何度も生まれ変わりながら
この地球という物質界(3次元)に愛を学ぶ為に肉体を伴って現れてくる光の存在だと思っとります。
移行についてはまだ死んだ事も、臨死体験もないので確かな事はマジでわかりませんが、生は死の続き、死は生の続きと学んでおります。
私達は永遠なる魂だと。
いろいろ学び、経験し、輪廻転生を信じてます。
テーマが重いですわ。私らしくいけるかしら。。。このまま。。。笑いへと。。。
:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
しかし、昔は輪廻転生っていわれても、漠然としたものでした。
バラナシに行くまでは。。。
インド到着後4日目にはバラナシ行きの汽車に乗ってました。
インドといえば、とにもかくにも大聖地バラナシへ行かねば。
小学校のとき、社会の時間、世界地図に載ってたバラナシのガンジス川でインド人さん達が沐浴をする写真を見て
ぶっ飛ばされたあの日から(授業中アストラルトリップ)、ずっと憧れの地だった。。。
死の街 ワーラナスィー(バラナシ)
川岸が階段状になって川に続いており、それをガートと呼ぶ。
そこで、人は日常の洗濯物や、巡礼の沐浴をする。
そしてバラナシにはガートに火葬場もあって、そこでは24時間祈りが捧げられ、遺体が荼毘に付される。
ヒンドゥ教徒はここで死を迎え、火葬されると輪廻から解脱出来ると信じていて、インド中からこの街で葬られるためにやってくる。
沐浴するだけでも、現世でのカルマは洗い流されると言う。
そんな厳かな所へ、小学生のトキメキのみで現れてしまった私。
念願だったバラナシの街は、夢に描いていた以上に強烈でした。
何百年も時間が止まったままの様な。。。。
私はタイムトラベラーのような異邦人でしかなかった。
古いヒンドゥーテンプルの間を、迷路の様な狭い路地がくねくねと続き、
人の暮らしと巡礼と動物が、過去と現代がごっちゃになって存在している街。
聖なるガンジス川の対岸はこちら側とは別世界で本当に何もないの。。。
あえて言うならチャイ屋が一軒だけ。
あとは不毛の大地。
で、インド行きを計画した時からずっと悩んでいた。
私は火葬場に行くのかしら。。。。
「怖い。行ってみたい。いや、失礼に当たる。見てみたい。いや、ダメだ。。。」
そんな堂々巡りをずっとやってた。
なぜかわからないけど、心が魅かれてしょうがない。。。
なんせ、「自分の足で世界を歩いてみたい」という、どシンプルな夢だけのワタクシ。
歩いているだけで幸せ。
路地をうろうろ、とにかくうろうろ。。。
野良犬の集団に追われたり、牛に道をゆずらされたりしてるうちに
楽しい迷子気分が、本当の迷子に!!
やばい。異国の路地で迷うと、そこには観光地の様な気楽さはなく、
現地の皆様のナマの暮らしがあるだけ。。。
しかも、この私の英語すらも通じない世界。。。
ええっと、川はどっちだ?で半泣きになっている所へ
「こんにちは~~~~!日本の方ですかあ?」と元気な声が!
見れば、日本人の様な若者が。。。
はあ、助かった渡りに船。「日本人ですう~~」(急に女子力)と近づくと、
「あんにょはせよ~~」
やたら元気な韓国青年。
あはははは、まいいか。。助かった。
「ガートへ戻れなくなって。。」と伝えると、
親切な彼は、ぐいぐい腕を引いてガート方面へ連れて行ってくれる。
あり得ない様な古い古い路地裏や瓦礫を乗り越えて、
やっと川が見えて、出た所は街のはずれのマニカルニカー・ガート。
そここそ、わたしが畏れ、さんざん心を悩ました火葬場。
そのど真ん中に飛び出してしまった。
もう、空気が完全に違う。
観光客が物見遊山で気軽に立ち入る所ではない。
立ち入っては行けない所。。。
何の心の準備もできてないまま、突然そこに来てしまった。
「ハイ、シタイモエテルネ」変な日本語でコリアンボーイが教えてくれる。
大切に大切に想い過ぎてた場所に突然連れて来られて、完全に動揺しまくりの私の目に映ったのは
荼毘の炎。
それはそこにあまりにもそのままで。。。
あまりにも、自然で。
言葉も、思考も失ってしまって、ただ呆然と立ち尽くしてしまった。
何体もの遺体があちこちに積み上げられた薪の上で燃えていたり、燃やし始められたり。
そういった光景を実際目にしたら、きっと泣いてしまうだろうと思っていたのに、
そんなことはあっけなく、バラナシの空とガンジス川と祈りの声と鐘の音に吸い込まれた。
死は、当たり前で。
あまりにも自然だった。
火葬場で働く、火葬職人さんのおっちゃんが一人、ニコニコしながら近づいてきた。
この人達は、先祖代々このカーストで火葬場での仕事をしている人達だ。
「ユウ、ファーストタイム?グッドプレイス」(ねーちゃん、ここは始めてかい?ここはいい所だよ)
「テイクフォト?」(写真撮りたいかい?)
こんな所に突然やって来て怒られるとばかり思ってた私は、ううん撮りたくないよと言った。(撮っちゃいけないしね。ガイドブックにも書いてあったし、とてもそんな気分じゃないし)
おっちゃんは、つたない英語で(それがとても分かりやすいんだけどw)
「オレを写真に撮れ」
そういうと、自分の息子を呼んだ。まだ8~9歳ぐらい。かわいい。
「オレの息子だよ。俺たちはこの仕事をとても誇りに思っている。オレの親父も爺さんもそのまた爺さんもずっとここでこの仕事をしてきたんだ。
今はオレ。次はこの子だ。オレはこの仕事が出来ることをとても誇りに思っている。息子と一緒の所を写真に撮ってくれ」
肩を抱き合い、にっこり笑う二人の真後ろでは荼毘の炎が揺らめいている。
その笑顔は、誇らしさでいっぱいだ。
私は自分の小さいカメラで彼らを捉えた。
好奇心で荼毘を撮るんじゃない。
仕事を誇りに思うこの親子を撮るんだ。この場所で。
カメラ越しに彼らを見てたら涙があふれてきた。
美しい。
美しい。
人って美しい。
生まれて始めて、人を美しいと思った。
人が死んで、焼かれることが、怖いことだなんて思いが、
死は忌み嫌われるもので、口に出してはいけない感覚が、
あの炎に飲み込まれて一緒に焼かれた様な気がした。
死がとても身近に感じた。
死が怖いものだという、呪縛から解かれた。
涙がいっぱい出たけど、
ありがたさでいっぱいの感謝の涙だった。
燃えて灰になった人や樹が、川に流される。
同じ川で、生きてる人が洗濯して、口をすすいで、祈りを捧げている。
子供達ははしゃいでいる。
死んだ牛も流れてる。
生きる事も、死ぬ事もごっちゃで、分け隔てがなかった。
愛する人が亡くなるのは悲しい。
生きてる事も辛くてしんどい。
そんな事を全て抱きしめて川は流れ続け、
何百年も変わる事なく死者を送る営みを続けている明るい親子の笑顔に
死の悲しみと生きる喜びがぐるぐるに重なって、
生と死の輪廻の輪がぐるぐる回って見えた。
私も回る。
ぐるぐる。