レムリアンルーツクリスタル!

クリスタルトライブの皆様、こんにちは。

まるでレムリアン祭りの様な毎日です。
ブログもずっとレムリアンが続いています。

そこで、大急ぎでデヴューしますのが

このあいだのデンバーでお迎えしたばかりの

レムリアンルーツ
クリスタル

デンバーミネラルショーで妙に気になるかちわり氷のような水晶さん。
目立たずさりげに置かれてるわりに、なにやら別格の威厳漂う。

これ良いなあ、めっちゃタイプだなーと手から離れなくなって来ました。
なでなでしていると。

「oioi,おいお〜い!
ほれほれ、私だよ私」

と、やたら親しく話しかけて来ます。。

これは相当な水晶に違いない!

お店の方に「これなんですか?」と尋ねましたら

『レムリアンルーツ』だよ

なに?ルーツ?見たことないわあ!
なんてかっこいいんでしょう、清々しさが別次元のはず。

もなり萌え盛ったのは言うまでもありません。

私が知らないのもそのはずで、レムリアンルーツは今年のツーソンが初デヴューの新お目見えさんだったのです!(ツーソンでは会えなかったが)

ルーツと言うだけありまして、レムリアンルーツクリスタルはレムリアン水晶を採掘して掘り進んだ最後の最後、地中深いところから出てきたのです!!

どおりで、この魅惑的な形状。
深い深いポケットの中、永い年月をかけてなにが起こっていたのでしょう?
しかも、古いはずなのに魂に沁みる潤いのある透明感!

ルーツ・根元、起源、始祖

まさに、それそのもののパワーを感じずにはいられない、
レムリアンクリスタルの始まり。。。

ぐるぐるぐるぐるりん回るよ回るよ〜時空が回るよ〜
(もなりトランス状態に入っていく音)

もなり、インド滞在中の頃よくトランス状態になってまして
(気軽に書くことではないが)いつもイラストを描いておりました。

それは、何かに取り憑かれたように寝食も(子育ても)忘れるほどの集中力で、自分が描いているというより、何かに描かされている状態で。
時間も我も忘れてひたすら描き続けていました。

今はもう全く何にも描かなくなったのですが、その当時は絵を描くのが何よりの楽しみでした。

もうかれこれ20年近く前でしょうか、インドのヤシの木揺れるビーチで毎日泳いでいた私は脳内がレムリアに占領されていまして、インド洋の美しい原風景の中、かなりアブナイ人になっていました。

人間以外としか喋れませんでしたから笑(笑えないが)

その頃描いたレムリア人のイラスト(素描)がありまして。
それが押入れから呼ぶのですよ。。

お恥ずかしながら、本邦初公開
もなり画のレムリア人でございます。

素人の未完のイラストですので、各種ご容赦くださいまし。

なんで、わざわざ出したかと言いますと。
レムリアについてはいろいろたくさん本も出てますし、レムリアヒーリングなんてものもあり、自称前世レムリア人な方とかもいっぱいおられますよね。

私のヴィジョンのレムリア人はこういった様子なんですよ。
なんだか宇宙人にも見えますが
地球のエレメントと融合して半物質化した存在なのです。
これは、根源的レムリア人というか人間というか、お猿さんから進化した人類ではなく、「意識の光」が惑星地球に入って形を伴ったものと見てください。

ああ、ぶっ飛び話な上に自分の絵をさらけ出してしまって、
なんだかもう訳がわかりませんが、レムリアンクリスタルをお届けしている者として、正直に私のスピリチャルカミングアウトもするべきなのではないかと。

いろいろなぶっ飛びスピリチャルの方が、「私はレムリアの女王でした」とか「レムリアの高級神官でした」と仰るのを聞くたびに、私のイメージとはえらく違っていて奇妙な違和感がありました。

が、レムリアンルーツクリスタルに出会ってなんとなく理解したのは、それは時代が下ってからのヴィジョンで、初源のレムリアというのは4大元素と海、大地、大気が生物圏と密に融合していて分離がなかったのです。
そして元々一体だった全てが徐々に分かれていきユニークな個体化の時期があると想像してみてください。

レムリア時代の始まり。

その頃は大気も濃密で呼吸するだけで代謝は充分なので、食料を摂る必要がほとんどない。イラストの様に身体は半透明で体内は植物や鉱物に近い形状で備わっています。

人間の住居もなく、社会というようなものもなく有機的生命圏として全ての生命あるものが調和と融合の上で存在している原始的パラダイスなような世界です。

私はそのヴィジョンに触れると、言葉にできない平和と安寧を感じます。

「レムリア」なる証明できない地球の歴史に、どうしてだか魅かれてしまう人は、地球原初の記憶が魂や細胞に甦ってくるのかもしれませんね。

そう思うと、楽しいよね。
もなりは、とてもとても楽しいです。

さて、このレムリアンルーツクリスタル。
独特の形状ですよね。浸食や風化とも違うし。原型保ってないですものね、トップもないし。
大きな塊が一気に砕けたような、そうでないような。
地質学的にどうなのかはわかりませんが、
私がこの形から感じるのは、

上もなく下もなく、解釈や投影を持たせない在るが儘の存在。
風や水それ自体が形状を持たないのと同じ、そんな水晶。

それは植物に例えれば、「根っこ」の部分のような。

今朝、インドの神秘家OSHOの読みかけの本を開いたら
驚いたことに、『ルーツ・根っこ』について書いている章でした。
偶然はないというけれど、まさに答えをいただいたようで
こちらをシェアして、レムリア祭りのブログの締めくくりにしたいと思います。

この宗教 religion という言葉は大変美しい言葉だ。
これはreligereという言葉に由来しているが、religereとは再結合する、
再び結ばれて一体になるという意味だ。
誰と結ばれるのだろう?
自分自身とだ!自分の存在の源泉とだ。
それにまたなぜふたたび結ばれるのかな?
これは、あなたがたがその存在の源泉とすでに結ばれているからだ。
これは再結合だ。
あなたがたがその源泉に近づくのは、これが初めてではない。
そうでなかったら、あなたがたはいったいどこから来たというのだ?
あなたがたはその源泉から来た。
深いところでは、あなたはがたはまだその源泉のなかにいる。
ただ表面では、あたかも樹の枝が根のことをすっかり忘れてしまったかのようになっている。
根から切り離されたというわけではない。そんなことになったら生きてはいけない。ただたんに忘れているのだ。
エゴのなかで、大空の高みで、月の上で、ロマンスのなかで、
樹たちは根が地中にあることを完全に忘れてしまったのだ。
根・・・・・・、それは樹々を養い、支えている。
根なしには、樹々たちは一瞬たりとも存在することはできない。
そして、この豊かな緑、色とりどりの花や果実、これらもすべて、
ひとたび根から切り離されたら夢のように消えるほかはない。

人間に起こったのはまさにそれだ!
あなたがたは枝の方へと動いてしまった。
根からはどんどん遠く離れて…。
あなたがたはさまざまな花に行きあたり、魅了される。
まわりの世界はどこもここもすばらしく美しい。
あなたがたは根のことなどまったく忘れてしまう。
が、これはあなたがたが根無しになったということではない。
忘れたというのはあくまで忘れただけのこと。
これが宗教religionの意味になる。ふたたび結びつくこと、思い出すということだ。
この思い出すrememberという言葉もまた美しい言葉だね。
これは re ふたたび、member構成員となる、ふたたび源泉の一部となるという意味だ。源泉に立ち帰ってもう一度そのメンバーになるのだ。
宗教とは、自分自身の源泉と再会し、それと一体になることだ。
宗教とは思い出すこと、思い出して、ふたたび本来のあなたそのものである有機的な統一体の一部になることだ。

OSHO 「UNTIL YOU DIE」より

ドゥニクリスタルへ続く

こちらは当ドゥニクリスタルのホームページです。
綺麗な写真がたくさんあります!是非見にきてください!