沈黙の美の中で神秘を育んでね

クリスタルトライブの皆様、こんにちは

最近、本屋さんへ行くと「自分暴露本」が目立ちますね。

エッセイのカテゴリなんだろうけど、個人的な体験を赤裸々に綴っている本は

嘘偽りの多い現代において、ヒトの真実に触れるようで人気がありますです。

いい本がもちろん多いけど、中には特殊な性癖の体験記など

見るんじゃなかったぜ(立ち読みで申し訳ないが)なツーマッチ行き過ぎなものもあり、世間の動向に憂いてしまいます。

オープンであることと、自分を晒すことは違うよね。

自分に正直であるのに、他の誰かのジャッジは必要ないし。

ま、行き過ぎの自我伝はゴシップと大差ないなというのがおいらの感想です。

タイトルは先日、ある常連のお客様と話している時に突然降りてきた言葉です。

私たちは特殊であると感じる体験、霊的な神秘的な体験をします。

これは個人差があるだけで誰でもします。

感じるからといってすごい訳でもえらいわけでもないし、

そんな体質だから特別な存在ってことでもありません。

人は等しく皆特別です

逆に、私には見えない聞こえない感じないからスピリチャル的にダメな人間なんだなんてことも、たのむからそんなこと考えないでくれよって祈るくらい

ないです。

不思議な体験したら、誰かにシェアしたくなります。

トーゼンです。

でも、いつもいつもしょっちゅうしょっちゅう

「最近ぞろ目ばかり見るの。今日は4ばっかり」

とか

「ここにドラゴンが写ってます」

とか

「クラウンチャクラがスースーします」

とか

で、「おお、それは素晴しいですな。で?」と問いますと大体

「なんだかわからないけど」と返ってきます。

自分の霊的成長の確認を日常から気づけるのはそれはそれは素晴らしいことです。

シンクロニシティやちょっとしたミラクルに満足しちゃうとそこで成長止まります。

沈黙という広大なスペース(空間)は、

自分と向き合い自分の欲と嘘を落とす神聖なスペースです。

その空間で自分を観察する時、

神秘的な体験は練られ、浄められ、大いなる理解に繋がります。

そうなって初めて、他者に伝えるべき真実が善きタイミングで表現されるのです。

もし、満足していたと感じたら体験から少し距離を置いて、

じっくり見つめてみましょう。

他者に褒められることが、目的や動機となりませんように。。

と、ここまで書いて。

昨日ウン十年ぶりにパーマをあてました(あてたという表現がおばさん)

久しぶりのイメチェン。

自分のやりたいようにやってみたらマイケルジャクソンみたいになりました。

他者(パパ)に褒められる(惚れ直してもらう)のが動機でなかった為に、

あまり喜んでもらえなかった

くやしいので超絶苦手な自撮りに挑戦だぜっ(ヤケ)

えらそーなこと言っといて自分暴露

ガーン

む〜んやっぱり写真は苦手だなあ。。